行方。
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ドロップシッピングをアマゾンが参入したそうなのでいくつか図案を載せてみた。
サービスの使い方がこれでいいのかはよく判ってはいない。
マグとかあればいいんじゃなかろうかね。いつからか判らないけれどキャラグッズを欲しいとは思わなくなったので、どんなグッズが売れるのか判らない。でもマグはあれば欲しい。
小説を書いている。大して長いものではないのだけれどむしろ短いのだけどゴリリリリっと書いては保留の繰り返し。ちょっとばかり狂った人を書いていると楽しい。楽しいけれどこれ読んで真に受ける人がいるんだろうな、とも思う。以前書いてることを真に受けて人格批判をされているのをエゴサーチして見つけたことがあるだけになおさら思う。作者は破綻しているけれど破綻の方向にも色々あるんだよね、そっちじゃないんだよね。
そんなことで保留している、ではなく単にナマケモノなだけで纏めないだけ。
書いているものをブログに連載してもいいよね。あくまで初稿のたたき台ということで。どうせ続かないけどもう少し話題は続く。
他の人がどうやって書いているのかは知らないし、知ったところでマネもできないのでどうでもいいのですが自分の場合は文章に変なリズムやテンションがないと面白くならないので書くのが止まる。時々このことを指摘してくる人がいるんだけれど、どれだけ勘が良いんだろう。エスパー?って思う。関係ないけれど今日東京大学にて学食を食べました。散歩がてら寄っただけでこんなあほうにそもそも縁のある場所ではない。きっとここには勘のいい人が一杯いるのだろうなと思いましたね。頭の良さとは勘の良さであったりの脳髄の回転パワーのことではなかろうか。
私は相手によって会話内容だとかを露骨に合わせるので、あ、また人格批判されるのでこの話題終わり。
最近は人の小説を読んでも作り事にしか感じない。いや作り事か。
例えば「よしおが云々なにをあれした」と有ると、なぜよしお?その名前は何?とか、そこから疑問がわく。ケチを付けたいわけじゃなく妙な白々しさを感じる。もっとこうナイフのように尖ってて触れば怪我どころでは済まない小説が読みたいのだけれどあまりない。
あんたの書いたモノだって錆びた刀ではないかと言われそうなのでこの話題も終わり。
最近は体力も衰えを感じる。例えばちょっと変わったことをするととたんに節々が翌日痛む、だとか。これが一日空けて痛むとなると完全にやばいらしいのだけれど今のところは大丈夫。若さの貯金があるそうな。
人間とはあれこれ出来るときに積み重ねたものを切り崩して生きていくのだろう。自分は何を積み重ねただろう。ずっと欲しかったのは強烈なオリジナリティだった。これはずっとコンプレックスで「人のマネしか出来ないクズなんだ」とぐじぐじ忸怩たる思いでそれでもマネをマネだと気付かれないようにビクつきながらも生きてきた。
なのだけれど、最近気付けばどうやら個性は手に入れていたらしい。欲しいタイプの個性とは違うのだけれど。
だけど個性というのはどうやらやっかいなものだった。まず、敬遠される。次に売れない。
死ぬまでにはせっかく手に入れた個性をどうにか生きていても良いんだよって思える程度に換金する術を手に入れたい。
生きる術と言えば、こうやって作品を作って暮らしたいのであれば最初に必要なのは自己愛でしょう。
見回せば自己愛が強い人はみな売れている。そういう人に限ってヘタクソだけれどセスキモーに冷蔵庫を売るセールスマンなみのごり押しで売り込むので自分自身も騙せば客も騙せる。KDPの話ではない。KDPのことは実のところそんなに知らない。だって誰の本もよんでないもんな。いや、読んだ人もいる。誰を読んだのか誰の本を読むのを途中で止めたのか誰の書いたものを返品したのかは言わないでおく。どうせこんなブログは誰も読んでないから書いても良いか。いや書かないよ。
ブログが面白くて楽しみにしている人は何人か一応いる。
話を戻すと自己愛で売り込んでも続かないので最終的には駄目になるのだけれど、自分の作ったものを信じて売り込める能力はうらやましい。
具体例を書くと話題も広がるのだけれどやめておく。隠し事ではなく優しさですので聞かれれば答えるが、KDPの話ではない。
なぜKDPの本をあまり読まないかというと、上手い下手とか面白いとか詰まらないとかではなく創作の出発点が妥協の人が多く見受けられる(気がする)から。
漫画家になりたいけれど絵の練習はしたくない。字だったら書けるからラノベを書こう!とかそんな人が10年くらい前には多く居たそうですが、表現者として創作をせずには生きられないのではなく、安易になにかを創作したいけれど勉強はしたくないから小説を書くという人がいるんではないでしょうかね。実際KDPにそういう人がいるかどうかは知らんよ。くどいな。いるって思ってるんだろ。
楽器なら練習しなきゃ弾けない。バンドを歌がうまいからと始めてもやはり練習は必要だ。運動神経良くても何かの大会に出るのならこれも練習は必要でしょう。だけど一部のアートは何故か努力を必要としないと勘違いする人が集う。上っ面だけマネする前衛芸術っぽいアーティストだとか機材とロケ先自慢と業界(アマチュアだけど)内政治にやたら頑張っちゃうアマチュアカメラマンだとか小説だとか。あ、全部今揉めた実例書いちゃった。
でもなんで小説書く人の一部に「読書なんて無意味」って言い張る人がいるんだろう。本を読まない人の書いた物語って、ろくに料理を食べたことのない料理人と同じでしょう。
力つきたので今日のブログ終わり。図案増やしていくからTシャツ買ってね!