新作、冒頭2777文字。


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可愛い兎さんの絵を描いてしまった折羽ル子です。amazonによると、オーナーズライブラリーに登録する作品は、紙媒体を除く他のWEBでは全文の10%までしか公開してはいけないらしい。
「逆に考えるんだjojo、10%なら公開してもいいと」
そういう訳で新作の冒頭10%、約2777文字を公開しようと思います。まだ完全版ではないんで、最終的にはもう少し変わるかも。
で、この新刊は一体いつ公開できるんでしょうね。私にも判りません。今週か来週か今月中か。
現在の進捗、60~70%。
少なくとも毎月1冊は出していきたいです。最初は毎週一冊週刊折羽ル子のつもりだったのだけれど。
タイトルは「カラテネコ対ウサギロボ」
わたしのあまぞんぺーじ


1 悲劇、首と体は泣き別れ
 海を何回か渡り、山を何度か越える。それ程までに辿り着く事に困難を伴う遠い場所、ケモノノ村。
 当然そこに住むのは獣である。獣たち。ネコとかウサギとかそういった誰もが知っている生き物を始めマニアックに言えばキノボリカンガルーだとか、無数に獣が住んでいる。彼らはそれなりに文明的な生活をしつつまた獣としての本分は失っていない。肉も喰うし草も喰う、嗜好の違う種がそれなりにバランス良く過ごしている。たまにお隣さんに喰われたり、そんな事件は法的解決が難しく犬のおまわりさんも頭を抱え三回回って棒に当たりたくなる。
 だから条例もある。「肉はなるべくレストランで食べましょう」
 こうした細かな比較文化論もいずれ語ることになるだろうが、今日はまた別のお話。
 村はそれなりに大きかった。村の外にも当然土地は広がっているのだがそれもまた広かった。何匹もの獣がそれぞれの土地に暮らしている。山だとか川だとか、規模に応じてあれこれとすみかの形を変え生きている。獣は穴蔵。そんな全世代の考え方を許容できるほど洞窟は無く、彼らの居心地のためにそれこそ弱肉強食の食べる食べられるの時代はありそしてそれなりのバランスを手に入れた。
 勿論その中にもあれこれと縄張り的なものはあり、土地の所有権ほどシビアでなくとも厳しく種族の対立はあった。草食獣は問題が起るとすぐに食われる、だとか。今は何世代も経てそれぞれが固定の場所に暮らしそれほどいがみあう事も無いのだが、そんな村の地の底の、自ら掘った穴蔵に住んでいる者もいた。
 ウサギである。実験用小動物のウサギだ。
 奥の底のまた奧、じめじめした奥地の底の連帯感が生んだ仲の良い兄弟が居た。今は片方しか居ない。兄が死んだからだ。それとも弟だったか。よく似た双子の片割れが兎に角死んだのだ。おそらく兄だろう。兄としておこう。そんなウサギたちの話を今日はしよう。
 暖かく清々しい空気に満ちた春のある日、二人が仲良く手を繋いで歩いているとき悲劇は訪れた。
 彼らは大学の恩師であり、また彼ら二人の叔父でもあるドクトル黒ウサギ、正確には「シュヴァルツェス・カニーンヒェン」に頼まれた豆電球を届けに行く途中であった。
 清々しい気分の兄弟は道の真ん中を歩くことでますます気持ちは晴れ渡っていた。おれたちはいつでも真ん中なのだ。実験用小動物だからって端を生きることなどない、今や二人が世界の中心であるかのように、通常恋人達が感じるべきふたりだけの優越感が田舎のやけに広い農道を花の都のシャンゼリゼ通りかのように思わせ自分たちを世界の主役と錯覚させる。
 都会の喧噪は蝉の鳴き声に似ている、危険な自動車は足下の蛇に似ている。姿は違えど田舎道も幸せへ続くかたちは同じなのだ。
「ぼくたちは自由だ」と、兄が道の真ん中を歩けば弟は逆立ちをする。対抗して兎跳びを始めれば弟はその場でスクワットをはじめる。
「この道は僕たちの物だ」疲れ切った二人はそのまま道の真ん中で大の字となり、春の日差しを楽しむべく昼寝を始めた。
 その頃往来を行く運転手達も当然清々しい気分に満ちており、自然とアクセルを踏み込めば窓から吹き込む涼しい風がますます清々しくしてくれる。時折風は牛糞の匂いも運び込むけれど、クっと鼻を閉じれば良いだけ。ついでに目も閉じてしまう。
 ぶうううううううううううううううううううううううん。
 春の匂いはどんどん爽やかさを加速させる。そして一瞬の嫌な匂いに再び鼻と目を閉じる。
 
 風とエンジンが奏でるハーモニーの彩りは、どうやら赤く染められる運命だったらしい。
 二人は撥ねられた。
 弟は運良く毛皮の端を掠めただけであったが、その猛烈なスピードはまさしく殺人的で、すれ違い時の風圧が回転力として全身に伝わりグルルンとコマのように高速で舞い、激しく錐揉みする勢いで目玉が数ミリ飛び出、「ぴょん!」との叫び声とともに跳ね回り、結果地面にガリガリと叩き付けられた。幸いにも此程激しい吹き飛ばされ方ながらも首が胴と離なれた他は打撲のみであったが、寝違えてしまったかのように首が当分正常な方角に向かなくなってしまった。いや、離れたのが再び付くまで別方向を見つめながら随分離れた体を見つめていた事への好意的解釈か。だが運の良いことに彼の首は再び接合したのだ。
 叔父の黒ウサギ氏がドクトルであった事が幸いした。自らの首を抱え「おじさん、このままでは好物のにんじんを食べても腹がふくれないのです」と窮状を訴えれば、叔父は彼を一瞥し赤さびたパイプ、おそらく古い下水管を貧乏性で捨てていなかったのであろうが、それをまず胴に刺した後慎重に中心がずれないように、焼き鳥の串のように彼の頭を刺してくれたのだ。
 パイプは曲がることが無いので会釈をするのに難儀するようになったが、それでも食事が正しく胃に流れ込むようになったのは嬉しい。ウサギ(弟)、この表記は煩雑なので以後リトルウサギは感謝した。
 それでも時々ドクトル黒ウサギに愚痴るのではある。
「ゲップが汚水の匂いなのです」
 決まって叔父は「鼻がもげるのと首がもげているのどっちがよろしいか?」と言うだけであった。
 だがこの鉄パイプのおかげで、それまで「借金で首が回らないよ」とボヤいていたウサギさんは、大いに、何回転もすきなだけ首を回すことが可能になった。借金は当然そのままであるが、この気分の差は大きい。いくらでも好き放題回るのだ。
 そして兄ウサギは如何にして死んだのか。当然直撃である。直接ぶつからなかった弟ですら悲惨なこの惨状である。兄は簡単に言えばミンチになった。
 下半身はそのまま加害者の車によって針を刺された風船のようにはちゃめちゃにはじけ、体液が後続車のボンネットを染めた。後ほど上半身も後続車のボンネットに激突して大規模なへこみを作った後路上に零れ落ち、かつて下半身だった汁と共に車は遁走していった。
 つまり轢き逃げだ。
 落ちた上半身から時間差でこぼれ落ちソウセイジの食べかすの様に巻き散らかされた臓物は、直射日光を浴びたちどころに腐臭を放った。この比類無き悪臭で数十名の鼻がモゲたとの噂もあるが、噂というのは大げさな尾鰭を伴うもの。精々数人がヤキニク嫌いになった位の些細な出来事に過ぎないと推測される。
 彼の意識はどれ程の時間残っていたのだろう。ぐずぐずの体が奇跡的に残した、アスファルトの血文字の「ぎゅうにゅう」とは何であったのだろう。判らない。残念ながらこの村に探偵が現れるのはもっと後のまた別の事件の時のことだ。きっとかれならば「最後に冷たい飲み物を飲みたかったのだろうね」この一言で終わりだ。
 心ない者は「飲んだところで喉から下が無いよね」と言うのだろうか。
 それは答えにならない。残された者には判らない事が多すぎる。
 ウサギの兄は死に、弟はかたわになった。


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