読切小説「銀河の七つ星レストラン」読捨小説
表題作を書き終わらないうちに別の短い話が出来たので、しょうがないので載せる。
一太郎からコピペすると改行の一字開けが反映されなかったけど面倒なのでこのままでいいや。
銀河の七つ星レストラン
世は宇宙時代と言われハネムーンを羽を伸ばしにムーン旅行と洒落込んだつもりでも「近場で安くあげるなんて」と種子離婚(*)に繋がる昨今。やはり流行はオールト雲目当ての太陽圏最果て旅行がおすすめ。
婚約指輪は余命三ヶ月と引き替えの宇宙の神秘、反物質封入リング。
これが二十一世紀の現代、一般的に「これくらいは当然」とされる結婚の第一歩の姿である。
*宇宙港は種子島にあります。
さて、こうなると披露宴も無事では済まない。伊勢エビオマールエビ海老原少尉、エビにも色々ありますが金銀パールの小惑星帯よりも豪華なエビと言えばダークマターに漂う宇宙エビ。目も触覚も御髭も御御足も一、二、三、とにかく多い宇宙のエビ。
婚前交渉から新婚旅行、憎い連れ合いがくたばった時には盛大に宴会否お葬式までしっかり対応できるので有名なホテルチェーン、ホテルニュータナカスズキのコンシェルジュ、連込木賃は宇宙エビを使った目玉メニューに付いて考えていた。
メニュー自体はもう完成している。宇宙で一番美味しいエビの食べ方XXXXXXX(発音不能)を銀河最高のレストランシェフ南ダンジリ氏に再現して頂くのだ。そしてこれを地球一の美女達に美味しそうに食べて貰うのだ。
南ダンジリ氏、地球名のようだがこれは当て字である。宇宙語での名前は当然発音不能であるが、どうにか空耳でミュウンナミイイイイィンダァンジールゥンと聞こえた気がしたので便宜上南ダンジリと呼ばれている。無論超音波の発声と聴音不能な我々に聞き取り再現出来るわけも無く、まっとうな発音では無いこの呼び名は無礼なので本人の前で口にしてはいけない。脳波に脳波を送り込まれて左脳と右脳を別人格にする超能力にてお仕置きされてしまうだろう。いや、それだけで済めば幸いである。彼の料理を上手そうに食べなかっただけで、豚の生き餌にされた者も多数いる。
さて、カメラマンも有能な者を連れてきた。立派な料理写真にするには一流の腕で写し取っても貰わねばなるまいとの配慮だ。すでに子どものおもちゃカメラにもX線からサーモグラフィ、重力波撮像機能まで付いてワンコインの時代であるが、その時代に錯誤するのが銀塩写真にこだわるカメラマン恥裸奇木魚である、これははじらぎもくぎょと読む。
この男デビュー作は日光写真であるから恐れいる。なんと二十世紀の終わりの頃でもディスクメディアのカメラを愛用していた。当時であれば最先端の光ディスクでは無い。ディスクフィルムである。ご存じないなら手近な爺婆に聞くと、いややはりご存じないだろうね。
宇宙時代に全くナンセンスなアナログ人間ここに極まれりだが、このギャップもまた良しである。
そんな連込木賃の思惑とうらはらこの恥裸奇木魚氏大いに頭を抱えていた。
宇宙エビは生きたまま、殻ごとばりばり食べて口の中でもぞもぞするのを楽しむ物だと言うがこれが問題なのだ。
動くから撮影が難しい? ちがう。
生きたまま食べるなんて動物愛護の精神に反する? ちがう。
なんと宇宙エビ、これがごきぶりにそっくり。皿の上の異臭を放つ宇宙発酵乳(コスモチーズ)の茶色くべたべたした上で這いずり回る姿はさながらほいほいハウス。
ペット不可のぼろアパートでも許される、中身は勝手に遊びに来てくれるあの粘着シートの紙製虫かごのふたを開けた様子にそっくり。
「ふふふ、私たちの文明がいかに進んでいてもこれだけは止められないよ」南ダンジリ氏はヒョイと足をつまむとぱくり。これをうげぇきもいとそんな目をしてはいけない。ド田舎地球のドン百姓とダンジリ氏に八本指にて自在に指さされた上でバカにされるのがオチだ。
そうそう、そうだった。ダンジリ氏の姿について説明していなかった。
見た目は典型的なピョンポコ星人である。つまり頭があり手足があり指が左右に八本ぞれぞれ。ピョンポコ星人もかつては地球人と同じく指は五本ずつであったが、彼らの宇宙時代が幕を開けたとき「恒星間飛行に数の数え方が十進数のままでは恥ずかしい」と、十六進数の数え方に適した指の本数へ肉体改造をしたのだ。現在は遺伝子改造で生まれながらの指八本であるが、はじめは移植だった。
足を洗った日本のマフィアが足りない指を足から移植するのと同じで、足の指を移植するブームがあったという。もしくは詫びを入れる日本のやくざが痛みを嫌い、ホームレスを襲撃して剪定ばさみで小指を切り落とし、さも自分の物のように提出…という具合によそから指を持ってくるブームもあった。指の調達先はピョンポコ星の後進国であったり国内に無数に存在する無戸籍人間や政治犯に宗教家たちであった。指を取るなんて酷い?いえいえ無駄にはしておりません。残りの部品も有効活用これ当然。
現代社会ですら人間が死に至る際、臓器提供を承諾していると200以上の部品に分割して各病院に運ばれるという。今わの際に列をなしてぞろぞろぞろと回収業者が並ぶという。
これと同じでピョンポコ星でもまるで鯨のように無駄なくすべてを利用されるのだ。どうしても使えないあまりカスは、後進国への食糧支援用にタンパク質を薬品で加工して再利用。
話を戻す。十六進数に適した…と言っても、なかなか物の数え方というのは変えられる物では無い。八本指になっても残りの三本は殆どの市民にとって飾りであった。移植する部位を自由に手の甲に掌に日常生活の不自由さはお洒落の前には犠牲となる。手袋はオーダーメイドが当たり前となり業界に特需が走ったというから、くだらないお洒落と無碍にも出来まい。
お父さんお母さんお兄さんお姉さん赤ちゃん指に爺指婆指捨子指の後にピョンポコ指八本景気と呼ばれることとなった。
そういうわけで指が増えると数えられる物も増える。砂糖塩酢醤油味噌、料理のさしすせそも五つから八つへ大きく変わった。これが南ダンジリ氏を筆頭とするピョンポコ星料理が銀河規模の人気を博した理由である。
酸味、苦味、甘味、辛味、鹹味に旨味が増えることで地球の料理が進歩したように、ピョンポコ星でも三つの新たな調味料「料理のやゆよ」と三つ増えることで三倍の進歩を可能としたのだ。
やはヤンピコ。ゆはユポポ、よはヨヨヨ。この三つである。連込木賃にはこの味についてはマズいの一言しか無いが、食は三代というものだ。
味覚は子どもの時から親の代から爺婆の頃から慣れ親しんでようやく理解できる物だ。だから自分には判らないのは当然だ。
同じく貧乏学生の頃からカップ麺一筋痛風持ちの恥裸奇木魚にも、味の理解は出来ないだろうが、本物を写し取る目だけはあると信じていた。時に写真は本物以上の迫力を持つ。
さあ撮影の始まりだ。控え室には「宇宙一美味しい料理」と一緒に写るための綺麗どころが控えている。彼女たちは皆「おいしい宇宙エビなんてものが食べられるチャンスですって!?これでギャラ迄貰えるなんて」とうきうきしているだろう。ありのままの感動も写真に収めたいので詳細は話していないが、プロならきっと食べ尽くしてくれるはずだ。南ダンジリ氏も宇宙の河岸でいきの良い宇宙エビを集めてくれている。辺境の田舎者の星のためと手を抜く事無く宇宙一のシェフが食材集めの便宜まではかってくれたのだ。
これこそが彼の料理を食べるためなら星の一つや二つだろうが、どんな犠牲でも払うと言う豪傑が宇宙中にいるほどの感動一皿の所以であろう。
さあ準備は出来た。
ホテルニュータナカスズキの連込木賃はモデル控え室の扉をノックした。
これが地球滅亡の真相である。