文章について考える | 折羽ル子とケモノノノベルズ

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文章について考える


たまにはまじめな話題でも振ってみようかと思います、折羽ル子です。
この文頭で毎回アホみたいに自己紹介をするのは、以前から時々相談相手になって貰っている知人が「そうしてみたらおもしろいよ」とアドバイスをくれたので
キャラ作りにいいかもね!って思ってやっています。
いまどきだと作品だけじゃなく、作者のキャラも必要だと思うのですよ。
作品同士は断続しているから、Aが面白かったからBも買おう!じゃなく、あの人が書いたからまた読むか…まぁ似たようなモノですが感覚的には違う。まるで違う。
それならばツイートもうすこし穏やかにすればとも言えますが、偽善的なことを言えるほど立派な人間ではありません。
まぁたまに消すけどね。あ…って後で思って。

さて、それで文章について。
キャラ作りと同じで、作品に与える個性って何だろうっていつも思う。
テーマだとかもそう。
個性が無い作家間で交換可能な作品が好みの方も多数おりますが、そういう作品を書く人も多数おりますがそういうのを書いてもなぁって思うのです。
否定しているわけでは無い。
小説でも漫画本でもほどよく個性のあるモノが昔から好きです。
あんま小説の話するとよくないんで漫画で例えると、絵はうまいけど同じような絵の人いるよね~ってのにはあんま購買欲がわかないというか、
たしかに面白いから読んじゃうけど、「よく取材してるなぁ」とも思うのだけれども、当たり障りの無いその時代の最大公約数の絵柄ってのより、時代に多少は合わせているけど個性的な絵、だとか、時代に合わせる気が無い絵とかそういうのに引かれます。
例えば名前は伏せるけど仮にジョジョの奇妙な冒険って漫画だと、それまでの同じ作家の絵柄から突如北斗の拳みたくなって、PART3でドラゴンボールよりになって(私の主観なので反論禁止)PART4はろくでなしブルースのエッセンスが混じっているなぁとか思うわけです。*その後はジャンプの漫画に詳しくないので判りません。
でも一貫してジョジョはジョジョ。絵を見ると「ああ、あのジャンプの絵のきもいまんがね」って知らない人にも言われる。
これはクサミがあるからだと思うのだよ。
何を描いてもどうしてもその作家自体の個性が出てしまう、そういうクサミ。
そういうクサミが有ることで、爆発的ヒットはしなくてもジンワリ支持されるのじゃ無いかと思うのです。
それだけでも無いけれど、だから自分の文章も積極的にクサミを混ぜている。
要は手癖で読者に最良の読みやすく書くつもりは無いって事です。
そのキャラやストーリーを描くのに、自分の中でこれが一番だね!って信じている文章で書いている。とか言うと私が自信満々みたいでなんかイヤだね。そんなことはなく、また次も読んで貰えるだろうかとビクつきながら書いております。本当に。

まぁ現状のKDP読者の大半は同じKDP作家なのかなぁと思っています。実際KDP専門に辛口レビューしてきてる人はそうでしょう。たまにプロフィールで暴露してる人もいるし。「一緒に切磋琢磨しましょう」
あれ、よかれと思うのと同好の士ってことで批評精神がむくむく沸いているんだろうけど、止めた方がいいとおもうのだがなぁ。
仲間内で星5をつけあうのとおなじで害悪だと思う。自分が売れないから~ではなく、興味が沸いた作品のレビュー欄で延々クサされていたら買う気しなくなるし、めぐりめぐって読者を減らしているだけだよ。一人減ると、その人が話題にすることで買ってくれたかもしれない知人が存在しなくなるわけだし、その先もネズミ講のように存在しなくなる。
昔、VガンダムってDVDの宣伝文句が「これを買ってはいけない 富野由悠季」で、あれはもともとガンダムのDVDBOX、それもマイナー作なんて買う人が決まっているしシャレが効いていて良かったけれど(私はこのアニメを見たことがありません。あしからず)、KDP本みたいなのは純粋な読者からのレビューや、レビューじゃなくてもブログだとかの感想を積み重ねていかないといけないんじゃないかなぁと思うのですよ。

あれ、全然文章の話からそれちゃったな。




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